正確な記録が存在しておりませんが、初代主人、白倉一(しらくら・はじめ)は、この地で農業を営む傍ら、大正時代に入ってから、その住まいを改造し、「三英館」と名付け、民宿業を始めました。創業当初は湯治宿の色が濃く、自炊のお客様も受け入れていたようです。
その後、太平洋戦争突入の頃まで、営業を続けたものの休止。三英館は戦後も昭和45(1970)年まで、営業をすることはありませんでした。
3代目主人がサラリーマン生活を辞め、故郷増富に戻り、大正時代の建物に手を加え、昭和45年5月から営業を再開。その後、昭和50年代に5室の客室を増築して10室に増やすところまで規模を拡大しました。しかし、自治体からの強い要請を受け、県道拡幅工事に協力。建物の一部を解体し、土地を譲渡しました。その後、建物の老朽化も進んだことから、平成12(2000)年に休業し、現在の建物を建築しました。平成13(2001)年、客室数4室の「三英荘」として、営業を再開。平成27(2015)年3代目主人が逝去された後、一時営業を見合わせていましたが、平成28(2016)年に、女将を中心に営業を再開。源泉「八丁の湯」の改修工事が終わり、今日の営業に至っております。